人のふり見て我がふり直せ

ドミノピザで配達状況がGPSで見られるという事を知り、
前にすげぇすげぇ!と言って妻に画面を見せたら、
「こんな事までしないといけないんかね。かわいそうに。」と言いはなち、
凄いサービスだと盛り上がってた私を半日放置したピザのように冷めさせ心を乾燥させた妻だが、その三ヶ月後ピザを頼んだ時に妻がこう言った。
「まだかなー。今どこら辺にいる?」

「えっ?」

私は耳を疑った。
ドミノピザは前回から数回頼んでいるが、妻に冷たくあしらわれて以降、
GPSのサービスは見ていない。

またある日、ヨドバシドットコムで夕方頼んだ商品が翌日届いたことに対して、
「すげぇすげぇ!アマゾンよりスゴイゾン!」と言っている私に対し妻はこう言った。

「そんなすぐ欲しいなら買いに行けばいいのに。そんなに直ぐ届けないといけないかね?」

それから数ヶ月後、夜も8時になろうとする頃、妻がこう言った。

「今から頼んだら明日来ないかな?」

 

人のふり見て我がふり直せ。

こんな風にならないように、自分の行いを振り返ってみたら、ひとつ思い出した。(妻)
子供の寝かしつけでほぼ一緒に子供と寝てしまう妻は、
その間家事を一通り終わらした私にこう言ったのだ。

「朝するから、少し残しといてくれればいいよ」

ところが先日、仕事が遅くなり疲れ果てて帰ってきたので、
食器を洗うまでの元気が無くそのまま寝てしまったことがあった。

翌日朝ごはんを食べようと準備したら茶碗がない。

なぜなら昨日「私が」洗ってないからだ。

人のふり見て我がふり直せ。
人のふり見て我がふり直せ。
人のふり見て我がふり直せ。

しかし、それだと私だけがどんどん酷くなっていくだけの気がする。

湯豆腐でご飯がたべられるようになりたい。

皆様は湯豆腐をおかずにご飯が食べられるであろうか。

このブログを読んでくれている知的好奇心旺盛な紳士淑女のみなさんは、
当たり前のように湯豆腐でご飯を食べられるかもしれないが、
私には無理だ。

正確には湯豆腐と、ふきの煮物だ。
我が家は晩御飯はお義母さんが作ってくれている。
暖かい日が続き急に冷えたある日、身体が温まるでしょ?という事でお義母さんが作ってくれた晩御飯。
いつも、自分で食べる分量のご飯は自分で用意するのだが、
危険な空気を察した私はご飯を用意せずに席に着いた。

そもそもあまり好きではない湯豆腐を器に入れ、
口をつけた瞬間お義母さんが席をたち、
しばらくして「ごめんごめん、ご飯なかったね」と言ってご飯を持って着てくれた。
なんて優しいのだ。お義母さん。

「あぁ、すみませーん」といいながら受け取ったものの、
「湯豆腐でご飯食べられるわけないやん」と言えるはずもなく、
さてどうしたものかと途方にくれる。

こんなに冷凍庫にある唐揚げを恋しく思うことがあっただろうか。
いや、冷蔵庫にある5日前に賞味期限が切れた納豆でもいい。
私は湯豆腐ではご飯が食べられないのだ。
しかしこれまたせっかく用意してくれた湯豆腐を前に、
自分で納豆を別に用意する事なんてできるはずもなく、
アラフォーにして我慢してご飯をおかずにご飯を食べたのであった。
小さいころ、嫌いなおかずでご飯を食べた日の記憶がよみがえる。
ちなみにふきの煮物でもご飯は無理だ。

バナナの先っちょだけ

別に人前で読めない記事ではないので安心してほしい。

妻が子供にバナナを上げるとき、必ず「先っちょはパパにあげなさい」という。
私は今日の22時08分まで、バナナのしん(黒いやつ)があるから、
子供に、先っちょは私に渡せと言っているのだと思っていた。

というのも今からさかのぼること9時間ほど前。

パートさんたちがバナナの話(いやらしい話ではない)をしていて、
そこの会話にでてきたのである。

「バナナの先端は農薬があるから子供には食べさせてない」

なんだって??

私と同様、知らない人もちらほらいたようで、話が盛り上がっている。
すぐに私は自分のデスクにむかい、仕事をする振りをしてgoogle
「バナナ 先端 農薬」と調べた。
確かに、農薬あるよ!という記事もあるが、少し調べてみると、特に問題ないらしい。

よかった、俺先端ばっかり食べていたから心配したぜ。
 
いや、問題はそこじゃない。
農薬が入っていようが、入っていまいが今の私には関係ない。
問題は「妻がおそらくそれを知っていて理由を伝えずに私に食べさせていた」という事だ。
先日年末調整の件で生命保険や医療保険の話になり、
お金がなかなかたまらないから、保険を見直そうかと話をした際、
「そうやね。でも保険てわかりにくいし、面倒くさいよね」と
完全に納得できるようなかわしで話題を終わらせたのは、なにかの伏線か。
あやうく、私の人生という物語の最後において
「あ、あのバナナはそういう事だったのか」と言いながら
息絶えてしまうとこころだった。
この事実を知った私はみすみすそのような事はさせない。
最後の最後で私はこういうのだ。
「バナナの先端の農薬なんて、気にしなくていいらしいぞ」と。

読み間違えのせいで危うく妻に冷たい目でみられそうだった。

先日、雑誌を読んでいて「ウコン」についての記事を読んだ。

「ウコン」

引っ張ってもしょうがないので正直に言うと、「ウンコ」に見えて仕方がない。
タイトルでネタバレ。2行目で終了。閉じる。

 

 

今この文字を読んでいるという事は、まだ僕のブログは読まれているってことだ。
なんて、ドラマっぽくおしゃれに伝えてみても、読み間違いは「ウンコ」である。

これを先日妻との数少ない会話の中で「ウコン」ではなく、
「ウンコ」とぎりぎりまで出しそうになって、こらえた。
文字だけみると、ウンコを何とか漏らさずに済んだように見えるが、
まぁ、どちらでもよい。

とういか、すでに自分の書いたウコンがウコンなのかウンコなのかワンコなのかわからなくなってきている。

この記事を書くにあたって、他によくする読み間違いがないか思い出したのが、
カストロ議長だ。これも幾度となく見間違いをしてしまう。
何に見間違うかは察してほしい。

あまり思い浮かばない読み間違いが、二つともそっち方面なのは、
私の頭がクソなのだ。

修行の時間です。悟りを開くのは難しい。

1ヶ月から2ヶ月くらいに一度ビッグイベントがある。

それは、お義母さんの下着取り込みだ。

ここで、洗濯について振り返っておくが、
私の服や下着は子供の服と一緒に洗ったらダメらしく、
妻と子供。私とお義母さんの2セットで洗濯をしており、
子供と妻の分は私が洗濯をし、終わるとランドリールームでハンガーに干したり、取り込んだりしている。
そして私とお義母さんの分はお義母さんが洗濯をしてくれている(自分の分の取込は私がする)のだが、冒頭に伝えしたように、定期的に干されたままの状態で放置されていることがある。

そのままにしておけばいいと思うかも知れないが、
そのままだと干す場所がないので子供の服が干せない。
それに、お義母さんの洋服はとりこんであるのに、
下着だけ残っているのも何だか気まずい。

たまに私の分も畳んでくれている事もあるので、お互い様だよなーと一瞬思ったが、
逆の立場になって考えてみたら、私が30歳くらい年下の女性の下着を干すのと、
私が30歳くらい年上の女性の下着を干す時の気分が同じな訳ない。

さて、そのような状況に遭遇した場合、
まず、まじかよーー!って気持ちを抑えるために、そっと目を閉じて深呼吸をする。
そして、心の中で数を数えるのだ。

1、2、3……

何も変わらない。

もう、ここからは悟りの境地だ。
「無」
西田幾多郎か。いや、全然知らない。
いずれにせよ私はまだまだ雑念が入り混じるのでこれは修行だ。
荒行だ。

なぜ連休明け早々にこんな内容のブログをアップするのかといえば、
たった今、私はその修行を終えてきたのである。